ITによる労働環境の変容と新しい組織編成

島根県立大学総合政策学部
近 勝彦

目  次
    はじめに
  1. 経済社会の変化潮流
  2. 情報通信産業と情報労働者の現状
  3. 新しい組織編成の理論
  4. 労働編成の新たなフレームの構築に向けて
    おわりに 

はじめに

 日本の経済は、大きな転換点に差しかかっている。それは、90年代を通してまったくといっていいほど経済成長していないことが物語っている。何度かの経済回復の兆しは示しながらも、すぐに景気後退を繰り返し、マイナス成長の時期もあった。それはこの10年間の株価の動きをみても分かる。1990年に、いわゆるバブル崩壊が生じて以後、いまもって、往時の株価の最高値から、三分の一程度である。(注1)それに随う形で、勤労者所得も、この何年間は、むしろ減少ぎみですらある。企業においても、大型の倒産も後をたたない状態であり、リストラクチャリング(企業構造の再構築)も加速しつつある。これは当然に、失業率の上昇を生み出す。現在の失業率は、4.8%で、失業者数は、350万人にも及んでいるのである。(注2

 この間、政府も様々な景気刺激策を打ってきたが、その成果ははかばかしいものではなかったといえよう。財政政策としても、過大とも言える公共事業を推進し、金融政策としても、史上まれにみる低金利であるにも関わらず、景気が大きく浮揚しないのが現状である。その拡張的財政政策は、長期債務残高の拡大となり、将来の財政の危機すら囁かれるまでになっている。(注3

 そこで、新しい内閣は、「聖域なき改革」を旗印に、日本のいわば戦後経済社会の抜本的なレジュームの改革へと向かうことを宣言している。

 その経済社会が停滞する中で、ほぼ唯一成長を遂げつつあるのが、IT関連産業である。この産業は、最近の付加価値増加分のうちで、直接的および間接的な部分を含めると、7割にも及ぶのである。まさに、数少ない成長セクターである。そして、この産業およびITは、それ自身が後でみるように、急発展・急成長するばかりではなく、他の産業セクター、企業、労働者に多大な影響を与えつつあるのである。

 アメリカで議論されるように、「ニューエコノミー」の到来を確信している人々も多数存在している。(注4)確かに、日本でも、企業における年間設備投資のうち、2割程度もITに投資をすれば、何らかの投資効果は生じると考えるのも無理からぬことである。(注5

 しかし、IT先進国であるアメリカも、2000年はじめに、いわゆるITバブルが弾け、ハイテク関連株の株価も半分以下になっている。現在は、その調整段階にあるといえようか。(注6

 ただ、米国においては、この10年にも及ぶ景気の拡大状況と、ITとくにインターネット関連のエマージングな成長とは軌を一つにしており、やはり大きな関係があると言えよう。

 他方、この間に、米国の労働者間の所得格差が拡大したいと言われている。すなわち、一部の高額所得者層の数および所得増の一方、低所得者層も拡大しており、いわば所得階層の二極化が進んでいるといえる。(注7

 日本でも、所得の分化が生じる可能性は否定出来ない。なぜなら、工業社会で築き上げてきた所得の均一化の原理が劣化しつつあると考えられるからである。また、新しい起業のためには、創業者利益を得られるようにするために、税率の変更も行われている。企業内でも、リストラの一般化により、大企業の雇用維持機能は低下しつつあると同時に、いたずらな雇用の維持は構造改革にはつながらないという見方が急速に広まりつつある。また、IT産業では、これまでの日本型の労働評価方式をとらずに、成果主義、実力主義を採用することが一般化している。

 大きくいえば、工業社会の経済原理・秩序から、情報社会のそれに変わりつつあるといえよう。それに対応するのが、個別経済主体としての企業であるから、その企業経営の中核をなす、組織編成、労働編成、労働様式等も変更を余儀なくされるのである。

 本論文ではそのすべてを議論する余地はないので、3つに絞って議論することとする。その一つは、情報労働者(IT労働者)の労働環境と労働編成についてである。ここでいう情報労働者は、狭義のもので、情報通信産業に働く人々をいうが、広義では、すべての産業のなかで、情報や知識の伝達・蓄積・処理等に労働の過半を費やす労働者をいうと考える。ただ、狭義の情報労働者は成長する産業部門の担い手であると同時に、その労働編成が旧来のものと異なるのでここではまず、それを議論することにしよう。(注8)第二は、情報や知識が組織にとってより重要となる中、組織の編成原理がどう変容すべきかを議論する。第三は、新しく成長する情報部門および専門サービス部門で働く人々は高所得を得る一方、非熟練的な製造部門やサービス部門は、非正社員化や低所得化がすすんでいるという、いわゆる所得の二分化現象をどのように解釈すればいいのかを、ニューケインジアンの考え方をもとに分析をすすめることとする。これを一言でいえば、一方では、高額の所得を獲得することを労働市場は許し、他方、構造調整等のあおりや、完全競争市場的な労働市場によって、より所得が低下する層が出現しつつある現象をどのように解釈するのかということである。(注9

 すなわち、極めて大きく言うと、本論文では、企業組織がITによっていかに変容し、その労働編成がいかなる原理によって行われるのかを理論的に考察することとしたい。


1. 経済社会の変化潮流

 では、企業、組織および労働者を取り巻く環境がいかなる方向に、いま変化しつつあるといえるのであろうか。ここでは、多くの人に支持されている一般的・普遍的な流れをみてみよう。(注10

 まず、内外の歴史的潮流が大転換しつつあるという認識はほぼ誰の目にも明らかとなっている。すなわち、戦後長らく続いた高度経済成長における成功体験の記憶のもと、従来型のシステムをいわば惰性的・オートノマリーに維持してきたため、大きな潮流の変化とそれぞれの個別主体の不整合面が大きくなってきたのである。これが、90年代の経済社会における行き詰まりの原因であるとみられることが一般化しつつある。そして、長期にわたる景気低迷によって、人々の意識が自己防衛的な方向へと向かい、消費不況という反応を示していると考えられる。(注11

 しかし、時代の潮流を冷静に観察し、従来発想を大きく変えて、経済社会システムをうまく適合させられれば、また新たなる発展が可能となるとも考えられるが、そのためには創造のための破壊がまずは必要であるとみられている。(注12

 そこで、今後の日本の経済社会に不可避な影響をもたらすであろう大潮流を確認してみよう。

 その第一は、日本の人口がこの10年以内に減少へ向かうというデモグラフィックな変化である。日本は、明治以降の130年間余りで約4倍の人口が増加したが、それがいよいよマイナスに転じることとなる。そして、この21世紀末には、人口がちょうど現在の半分程度になるという。この人口減少の予想は、すべての国民に直接・間接的に国家経済の規模や活力の衰退を予想させるのに十分なインパクトをもたらしている。なぜなら、経済活動は、最終的には一人一人の需要を満たすことを目的とするからである。と同時に、少子・高齢化は、人口構成の変化をももたらすのである。これが、更なる社会システムの変容をもたらす。それゆえ、国土の基盤整備事業や社会保障制度等は現行のままで維持することが困難であることは、誰の目にも明らかとなりつつある。それゆえ、本論文のテーマである労働編成や組織編成にもこれらは大きな影響を与えることは事実である。

 第二は、資源、エネルギーの制約を克服して、いかに持続的発展モードを構築することができるのかということである。環境問題が一般論のレベルから、しだいに、個別事業活動や人々の日常活動に深い関わりを見せ、エネルギー問題が、経済活動に対する一層の制約要因となりつつある。これまでの大量生産型システムの維持では、こうした環境問題を解決していくことは困難であると考えられる。従来型のシステムを抜本的に転換させ、いわゆる「循環型経済社会」を構築することが内外を問わず求められているのである。

 これらを、経済社会の前提におきつつ、今後いかなる対応を取るべきであろうか。

 まず、ポスト大量生産型社会は、欧米先進国へのキャッチアップを一応達成し、経済社会が成熟化した今日においては、企業経営においても、このままでの様式を維持することは不可能でもあるし、得策でもない。そこで、これに変わる新たな組織様式・労働編成の前提となる方向性は、次の二つに収斂できるといわれている。

 その第一は、工業社会から知識化社会への移行である。物質的な豊かさがかなりの程度まで満たされている今日、人々は個性や多様性を求める傾向を強く示しはじめている。また、不断の技術進歩により、供給される財・サービスの高度化や多様性も一段と高まっている。今後は情報、知識、デザイン等といった無形の知的資本が、経済成長や企業収益、そして人々の効用を最大化させる原動力となると考えられている。これに対応する経済原理は、「規模の経済」(Economy of Scale)から、「範囲の経済」(Economy of Scope)であり、それゆえ、ホワイトカラーの増大が80年代に起きたのである。しかし、その経済性は次の経済性へと取って代わられつつあるといえよう。これに対応するための組織や労働編成が今まさに求められているのである。(注13

 第二は、大企業中心社会からネットワーク化社会への移行である。大型・高速化の方向で発展してきたコンピュータ技術は、80年代後半以降におけるいわゆる企業のダウンサイジング化の傾向に連動する形で、小型・高速化とともに、ネットワーク化へと転換していった。そして90年代に入ってからは、とくにインターネットの商用化とその急激な普及がこれまでのネットワーク化に拍車をかけて、情報面での全世界化を実現したのである。すなわち、世界を情報によって一つに統合するという「グローバル情報経済社会」の形成が進行中である。

 そのような経済における付加価値創出の基盤原理の変化とともに、グローバル化は新しい段階に入りつつあると考えられる。すなわち、財・サービスの貿易や資本の取引が、グローバルレベルで容易になり、まさに一元的な単一市場(Global Market)が出現しつつあるのである。このように、情報とモノに関して、人と企業を広範囲にリンクさせることによる経済効果、すなわち、「ネットワークの経済」(Economy of Network)が、企業の内外で起き、それへの適応が企業戦略の根幹となりつつあるのである。(注14


2. 情報通信産業と情報労働者の現状

 以上のような新しい経済体制に適合するためには、日本の産業構造を転換し、企業組織を変容させなければならないことが分かった。そして、様々な経済制約要因を克服しながら、新しい付加価値を生み出していかなければならない。その中で、もっとも期待されている分野の一つが、情報通信産業である。確かに、この不況下の中で新しい付加価値の大半がこの領域から生み出されているのは、日米とも共通していることはすでにみてきた。その象徴的なシステムであるインターネットの普及とその関連産業の成長が過大な期待と評価を受け、株価の急上昇をもたらし、それが実態経済のレベルを大幅に超えたことによって、昨今のインターネットバブルが発生し、それはまさにバブルゆえ、当然崩壊も生じたのである。(注15

 そのような大きな期待のかかるこの部門の労働編成は、旧来の産業とは異なる様式をとっていると考えられる。そして、この産業の規模の拡大と、旧来産業内へのITの普及とその組織編成様式の浸透により、旧来産業のそれにも多大な影響を与えることとなると考えられるからである。そこで、まずは、その状況をみてみよう。

 まず、情報通信産業の付加価値をみると、この20年間で、急成長していることが分かる。ほぼ3倍の成長を遂げている。1998年度で、すでにすべての産業セクターのなかで付加価値額が最大になっている。これに匹敵するのは、建設業であるが、これはいわゆるバブル経済と連動していた公共投資の増大がこの産業を押し上げたものである。しかし、この産業は今大きな淘汰の中にあり、次第に、その規模を縮小していくものと思われる。また、鉄鋼業に関しては、マイナス成長ですらある。これから、明らかに、日本の経済は重工業中心の経済から、サービス化・情報化された経済へと徐々に移行しつつあるのである。そして、その他の産業も、大きく成長しているものはなく、総じていえば成熟化の過程にあるといえよう。

 これが、この産業への期待を大きくしている理由の一つである。また、さきもみたように、情報通信産業は、情報や知識の創出と伝達に関わっているため、様々な経済制約を克服し、新しい価値創出に役立つとみられているのである。しかし、次の図-2が示すように、この部門での雇用は伸びていない。

図-1 産業別の名目付加価値額の推移


図-2 情報通信産業の就業者の年次変化


 情報労働者人口(狭義)は、1998年で、380万人あまりとなっている。これは労働者比で言うと、7%弱の程度である。絶対量でも、比率でも1990年以降、大きな伸びを示していないのである。そこで、これを情報サービス産業従事者で考えてみよう。この主な労働者は、情報ソフト開発者(SEやプログラマ等)と、情報関連サービス労働者であろう。前者は、平成10年度で、37万人弱となっており、後者は、121万人となっている。前者は、絶対量では全情報通信労働者のうち、1割程度であるが、この20年の年平均成長率は13%強であり、今後も増加が見込まれているのである。これに対して、電気通信の従事者は、逆に、年平均で-2.6%となっている。まさに、ネットワークは、大規模な装置産業であるゆえ、大幅な合理化が実現できているのである。

 「2000年版情報サービス産業基本統計」によると、2001年度も、情報サービス産業従事者の採用意欲は衰えないとされている。とくに、ネットワーク系やWeb系の分野における不足感が高く、経験者の中途採用によって対処しようとする企業が多くなっている。これに対して、情報先進国である米国では、アメリカ情報技術協会(ITAA)によると、全米で34万人余りのITエンジニアが不足しているという。そして、海外の外国人技術者に対して、就労ビザの取得に便宜を図っているとまでいわれている。EUも同様に、ITエンジニアの不足数は160万人にも上るとみられている。このように、IT関連の労働者は、この低成長の時代であっても、その需要が旺盛なことがみてとれるのである。

 つぎに、情報通信産業で特異なのは、他産業に比べて、以前より成果主義を評価の基準とする制度が広く導入されていたことである。これは、この産業が比較的新しいことと、付加価値の実現が属人的で、かつその能力に大きな差があることが原因であると思われる。とはいうものの、能力評価の困難性や技術革新により、能力評価と業績との乖離などがあるともいわれていた。(注16

 これまでのことを総括すると、情報労働者は、マクロ的には、むしろ、この部門の技術革新による生産性の向上によって、増大していないのが現実である。しかし、これはすべての情報労働者の過剰を意味するのでない。むしろ、高度情報労働者は日本やアメリカおよび欧州でも不足気味なのである。よって、情報労働者は、いわばルーチンワーク的な従来型の情報財を生み出す能力であれば、ITによってむしろ代替され、淘汰される恐れが持続的に高まる一方、創造性や革新力のある労働者は、より競争的に需要されると同時に、賃金水準もより高まる傾向にあるのである。まさに、情報労働者も、二極化の傾向を示しつつあると考えられるのである。

 それゆえ、情報サービス産業における人材および組織戦略は、優秀な人材獲得と定着のためのインセンティブ設計、市場競争力のある付加価値生み出せる人材育成をどう図るのか、そして年功序列的な要因を排した人事システムの構築などが課題となっている。ただ、これはひとり情報通信産業の人事戦略ではなく、ITが広く普及する中、すべての産業に属する企業の戦略となりつつあるともいえよう。


3. 新しい組織編成の理論

 新しい組織原理や組織様式を日本企業は必要としていることはすでにみてきた。ITは組織における情報処理コストを削減し、また新しい情報価値を生み出すことに貢献することが原理的には考えられるからである。しかし、これは既存の組織を前提としていては効果を発揮しないと考えられる。(注17)そこで、まずは、既存の組織とは何かを概観したあとに、新しい組織のあり方を考えてみることにしよう。

 すべての組織の基本形は、ヒエラルキーである。なぜなら、組織とは、複数の人々がある目的を実現するために協働するための人的な継続的体系をいうとすれば、その組織には、秩序がなくてはならない。もし、秩序がなければ、多くの人々が全体として組織目的を実現することができないか、その目的の実現には多くのコストがかかるからである。(注18

 そのときの基本的な要件はいくつかあるが、ここでは以下のように4つあげてみよう。その第一は、複数の階層をもっていることである。そうでなければ、ヒエラルキーとはいえないであろう。第二は、それによって、いくつかのサブシステムを持っていることである。相対的に緩やかではあるが独立したシステムを持っていると考えるのである。これはヒエラルキーが専門・分化した仕事によって構成されることを意味しよう。第三は、しかし、その下位者は、一人の直属の上司しか持たないということである。なぜなら、複数の上司をもてば、その人々の意思決定が異なる場合、組織は混乱し統制がきかなくなるからである。第四は、最終的な意思決定者は、一人ということである。それが名目的な者であれ、最終的にひとりの意思決定権を有するものは一人というのでなければ、組織全体の意思は統一できないからである。

 これに対して、ネットワークは、これとは反対の要件をもつものと考えられる。これを上記の4要件とパラレルに考えてみよう。第一は、階層という概念が本来的・理念的には要請されない。第二は、ネットワークは、それぞれがサブシステムをもつことはあるが、階層がないことより(ないしは少ないことより)、一つの独立したシステムではあっても、サブ(下位)システムであるかは疑問であるからである。第三は、ネットワークは、上司(上位権者)をもたないからこのようなことは要件にはならない。第四も、統一的な意思の決定権者が必ずしも必要としないのである。

 というふうに、ヒエラルキー型組織とネットワーク型組織はその特徴は真反対ではあるが、現実の組織は多様な形態をもっているので、必ずしもすべての要件がなければならないというものではなく、あくまでも理想型としての性格を記述したに過ぎないことを確認する必要があろう。とくに、それぞれの企業はヒエラルキー型形態であるが、その企業間はネットワーク型組織ということはよくあることである。

 そこで、組織と情報との関係を考える場合、多くの視点がありうるが、ここでは2つの面から議論を展開することにしよう。その2つとは、すでにみてきたとおり、階層性についてであり、つぎが、顧客との接触性に関してである。ヒエラルキー型は、階層性は高いと言える。すなわち、何段階にも上位者がおり、その階層を徐々に上る形で、情報が上位者に到達することになる。すなわち、上位者は、情報の濾過装置である。複数の下位者の情報を整理し、集約し、評価してさらなる上位者に伝達するのである。これは、巨大な組織はある意味当然で、それが存在しなければ、膨大な情報処理を上位者が行うこととなり、実際的には処理不能に陥ろう。

 しかし、その濾過装置としての情報の結節点が多ければ多い程、情報の廃棄、変容が進み、結局、重要な情報が見過ごされてしまう確率は高まってしまう。しかも、部下は上司によってその業績が判断されるのであるから、上司の好む情報のみを傾向的に伝え、そうでない情報は黙殺することはよくあることであろう。このような構造上のバイアスが情報をゆがめてしまうことは十分に考えられる。

 それに対して、ネットワーク型の組織は、階層性が低いために、そのような情報のゆがみはヒエラルキー型よりは少ないと考えられる。しかし、もう一度、中間管理職の存在を考えてみると、彼らの情報処理活動によってさらなる上位者の情報処理負荷を下げていると考えるのなら、やはり階層は一概には否定出来ないであろう。これはネットワーク型の欠点でもあり、利点でもあるが、ネットワーク型では上位者の情報量は多くなり、それによる負荷増大により、本業としての付加価値業務がおろそかになる可能性も指摘できよう。

 この点、ヒエラルキー型の中間管理者層が、情報伝達とともに、情報創造をおこなっているとするならば、このような人々は組織には不可欠であるとも言えるであろう。それゆえ、ヒエラルキー型の組織は現代経営学では一般にネガティブに評価されることが多いが、それは一義的にはそうではなく、その現実的運営手法や中間層のパフォーマンスとそのインセンティブ設計にかかっていると言えよう。

 とくに、ヒエラルキー型は、さきにも述べたように、命令系統がはっきりしており、厳格な統制が必要な組織には向いているであろう。それに対して、ネットワーク型は、ネットの参加者の自由度が高い分、全体としてのまとまりは悪いのが一般的であろう。それゆえ、やはり大企業組織に理想型としてのネットワーク型組織を適用するのは困難であろう。

 次に、顧客との接点の大きさを考えてみよう。なぜなら、企業が供給主導型経営ではなく、需要者主導型の経営が求められているので、顧客サイドの情報は必要である。そこで、各企業は、顧客情報を収集することに熱心であるが、この面からすると、ヒエラルキー型組織よりも、ネットワーク型組織のほうが、同じ社員数であれば、顧客と直接的に接する人員数が大きくなる。すなわち、より多くの社員が、顧客と接することによりマーケット情報を直に収集することができるのである。

 このように、現代の企業において情報の重要性が増せば増す程、総論としてはヒエラルキーよりはネットワーク型の組織の方に移行すると言えるであろう。

 しかし、ネットワーク型組織にも多くの問題点がある。

 第一は、階層が低くなった分、一人の管理者が多くの部下の管理を要請されることである。すなわち、管理スパンの拡大は、管理者に過大な情報負荷を発生させるのである。

 第二は、管理者は、単なる情報の伝達・媒介者というよりは、ちょうど働き盛りであり業務に最も習熟している年令なので、情報の創造者としての機能も持ち合わせている。それなのに、この層が薄くなると情報の創造を担える部分の力が弱くなることが考えられる。ただ、その中間管理層の人々は、そのような役職ではないにしろ企業の最前線としての現場で活躍しているとするのなら、そのような危惧は無用であり、むしろ、より生の情報に接している分、新しい試みにチャレンジする精神が残っているともいえよう。

 第三に、部下にとって昇進することは名誉なことであり、日本のような肩書き社会では、重要な労働のインセンティブでもあるから、管理層を少なくすることによってそのインセンティブが低下するという考えがある。しかし、ここでいう管理層は、人々を統括する管理であり、単なる名目的な管理職位ではない。それゆえ、名目的な管理職位を実質とは異なって与える企業もある。労働者は、外との比較というよりも内部との比較をするといわれているが(名目賃金水準や同僚との比較賃金)、そうであるならば、みんなが低い階層を容認すればそれでいいということになろう。また、インセンティブのつけかたが、管理職位のみが賃金が高いのではなく、専門技術職もそれなりに高いのであれば、管理業務には向かない人でも、専門業務では力を発揮できることになる。

 このようにネットワーク型組織にも課題が多いが、それを乗り越えていくにはどうすればいいのかを考えてみよう。まず、第一に、これまでのようになにもかも管理するというよりも、下位者に権限や責任を委譲するという、いわばエンパワメントが重要となろう。そうすると、管理者の負荷も大幅に軽減すると考えられる。ITは、このエンパワメントを高める力をもっている。第二は、それを実現するためには、労働者の個個人がそれをこなせるだけの能力と高い自己規律の精神が必要となろう。他の言葉でいえば、パーソナルマスタリーである。それぞれがある程度の自立的な意思決定能力がなければ権限の委譲は不可能であるからである。第三は、そのためには、企業のビジョンや戦略的な情報を周知していなければならないであろう。事実上、経営の一端を担うことになるからである。そのためには、情報の共有が欠かせないであろう。情報の共有の重要性が米国で盛んに主張される背景には、このように組織編成の変更があるとみなければならないであろう。一端、バラバラとなった労働者をビジョンの共有や情報の共有によって繋ぎ止め、再結集させる力としてITが期待されているのである。最後に、個個人の働きの評価方法が変更されなければならないであろう。なぜなら、かなり大きな責任と意思決定が行えるということは、単に、そのような行動をとったというよりも、その行動によっていかなる付加価値が実際に獲得できたかという客観的な業績がより重要になってこざるを得ないからである。日本の企業でも、しだいに業績主義や実力主義がその評価のウエイトを高めつつあるが、それはそのような背景も起因していると考えられるのである。

 どちらにしても、組織の大規模な形態と業務プロセスの変更は、多くの労働者にとってかなり強いストレスを与えるようになろうが、日本の経済社会全体が変わらなければ組織維持も困難になる中、恩情主義に堕することなく、冷静に組織変革にチャレンジするべきであろう。その変革力の一つがまさにITなのである。ここでもっとも重要なITの力の一つが、「学習」することを支援することにあるのである。(注19

 ここでいう「学習」とは、さらに多くの情報を入手するためのものではなく、真に望んでいる結果を獲得するための能力である。その意味において、情報を単に得ただけでは学習ではなく、それをもとに自らが試行錯誤を重ねて目標を達せられたとき、はじめて「学習した」といえるのである。膨大な情報の処理と迅速な経営行動が求められる現在においては、学習する人間が組織の中にひとりいるだけでは足りず、まさにすべての人員が学習する人とならなければならない。厳しい市場競争のなかで生き残るためには、あらゆるレベルの成員が各々のビジョンの実現を目指し、強い意欲を持って学習し続ける組織を構築することが求められているのである。


4. 労働編成の新たなフレームの構築に向けて

 このような、いわば端境期といえるような時期に、ITの導入が進みつつある。それに連動する形で、IT労働者が増加しつつある。

 そこで、賃金が下方硬直的でありながら、失業が増大していると言う現象を説明する理論として、ニューケインジアンがある。この考え方は、それまでのケインジアンとは異なり、労働者および企業家の合理的な理由により、賃金の下方硬直性や失業が生じることを明らかにする点に新しさがある。ただ、最近の所得の分化傾向や、IT労働者の転職の多さ、IT労働者の賃金水準の高さなどの新しい流れ、労働評価の変更に見られるように、ニューケインジアンが想定していた前提が大きく変わりつつあることも事実とあろう。

 そこで、そのような新しい労働者の出現に対応する考え方を、ニューケインジアンの理論を援用する形で、再考してみたいのである。

 ニューケインジアンの議論も多数あるが、その代表的な2つの考え方をここでは紹介しながら、この理論では説明がつかないことをどう克服するのかを考えてみたい。まずは、「暗黙の契約理論」(Implicit Contracts Theory)をみてみよう。(注20

 企業はリスクに対して中立的であれば、長期的な賃金水準の大きさのみに関心があるから、そのような契約でも受け入れる余地がある。すなわち、労働者の側は、不況のときに大きく賃金水準が低下し、好況の時に大きく賃金水準が上昇するよりは、ある安定した賃金水準の方を望むと考えられる。 しかし、この理論に対する反論もある。労働者が実質賃金ではなく、貨幣賃金での安定性を求めるのは、貨幣錯覚を想定しているということであるが、そこにどの程度の合理性があるかは疑わしいといわざるを得ない。とくに、あらゆる情報がインターネットを通じて入手できる時代においてはなおさらであろう。また、長期的には労働市場が均衡していることを意味するから、長期的に非自発的な失業が存在することを説明するモデルとなっていないといわれている。

 しかも、IT労働者はまずもって危険回避者であるといえるかという疑問がある。なぜならまず情報労働者市場が売り手市場であることである(とくに高度情報労働者においては)。次に、危険回避者かどうかは自分が、生産手段をどの程度もっているかどうかということに関係する。これからすると、IT労働者は、自ら生産手段(生産のための知識・スキル)をもっており、転職可能性が高いことから回避的でないかもしれない。これは逆にいうと、企業が回避者であるかもしれないのである。

 すると、有能なIT労働者を引き止めるためにはインセンティブが必要であろう。これからすると、賃金格差は大きくなるかもしれない。しかし、大半の情報労働者は、そのようないわば「スター」ではないので、やはり一般の安定性を支持すると考えられる。また、ITは時間の経緯とともにすぐに陳腐化することが予想されるので、絶え間ない努力が必要である。それゆえ、安定性を確保したいと考えるIT労働者が大半かもしれないのである。

 それゆえ、インセンティブのつけ方としては、数少ないスターとそれ以外の大多数の労働者とに分けて、賃金決定をすることはあながち不合理とはいえないであろう。

 つぎに、「効率的賃金仮説」(Efficiency Wage Hypothesis)と呼ばれるものを考えてみよう。(注21)労働者は同じ時間働いたとしても、どのくらい真剣に働くかによって形式的時間は同じでも、実質的な労働供給量は異なる、と考えることもあながち不合理ではない。すなわち、形式的に一定の労働時間働いているようにみえても、その実体は労働者の努力水準に依存すると考えることができるのである。それゆえ、実質賃金水準を低下させると、労働者の労働意欲が低下し努力を怠るようになるので、かりに労働市場で非自発的失業が存在していたとしても、企業にとって労働者の賃金水準を低下させることが必ずしも有利になるとはいえないといえよう。とくに、IT労働者においては、アイデアや創造力が問われるので、彼らのやる気は情報財の価値に決定的な影響をもたらすと考えられるのである。したがって、非自発的失業者を低賃金で採用することは可能であっても、一定の賃金水準を企業は維持しようと考えるというものである。その間の事情を説明したものが、図-3である。

図-3 努力曲線と効率的賃金水準の決定


   実質賃金が低すぎると、労働意欲が著しく低下すると考えられるが、実質賃金が高すぎると、また、労働意欲が減退するとともに、個人の努力によっては限界生産力の向上に限りがあるといえるので、努力曲線はS字型の曲線となると想定することは考えられる。すなわち、ある転換点より実質賃金が低い場合には、収穫逓増的となり、それより高い場合は、逓減的となるのである。ただ、このS字曲線の形状がいかに導けるのかは一義的には決定されない。とくに、情報(知識)労働者であれば、大きなS字の形状を示すといえようか。しかし、同じ情報労働者でも、大きな才能の差が認められるので、その努力はその労働者の年令、性別、熟練度、および知性の高さによって異なると考えられる。(注22)

 このようなときに、どの点で、実質賃金が決定されるであろうか。たとえば、(w/p)’ のときは、実質賃金一単位の努力水準(平均概念)は、βということとなる。これを次第に上げていくと、E点でそれは最大となり、そのときの努力水準e*が限界生産力と一致することとなる。

 しかし、努力をしても成果のでない労働者もいよう。彼らには、効率的な努力を期待することはできない。また、個性をかえって排除した標準的マニュアル的な労働を必要とすることすらある。すなわち、同じようなサービス業でも、実は一般サービス業と専門サービス業では、まったく違う労働編成、労働条件、インセンティブ設計が必要である。

 別言すれば、一方でのいわゆる「マクドナルド化現象」といわれるような労働市場もあれば、他方では、効率的賃金仮説が想定するような「専門的労働者市場」も認める必要があろう。(注23)逆にいえば、これまでの労働市場論に関して大多数の研究者が前提としていたのは、工業社会の生産原理であった。それが、脱工業化社会となり、その労働者の割合の変化や、労働内容の変化が、単一の市場をスプリットし始めていると考えられよう。

 実際、新古典派的労働市場論では、現に、失業者の存在を十分に説明できないといえよう。労働供給と労働需要に応じて、伸縮的に賃金が上下するするメカニズムである新古典派が想定する市場であるとするならば、情報労働者(知識労働者)では、インセンティブが低下することが考えられる。そして有能な知識労働者は超過需要ぎみなので、他企業への転出が相次ぎ、企業運営に支障をきたすこととなる。また、労働量の問題ではなく、労働の質がもっとも重要ということとなれば、多くの労働者を採用することではなく、有能な労働者のみの獲得が大きな価値をもつとすれば、かれらには全体的な労働需要とは関係のない、インセンティブ設計が必要ということとなろう。

 現実的にも、この不況が長期に続くこの数年をみても、賃金水準は決して低下していない。(情報労働者に関して言うと)

 しかし、すでにみたように、新古典派市場で説明がむしろ妥当する局面もある。いわゆるマクドナルド化現象にみられるようなサービス産業労働者の賃金は決して上昇していない。または、名目賃金水準は変わらなくとも、正社員からパート労働者へと切り替えていくとすると、これは実質的な賃金水準の低下と考えることができる。このように、労働内容の標準化、マニュアル化の徹底採用によって、労働供給量を増やす事ができると考えられるのである。


図-4 2つの労働市場論


 図-4は、2つの異なる労働市場論を表したものである。そして、右がいわゆる効率的賃金仮説が展開される労働市場である。この中で、労働需要が高まれば、Ld曲線は右へシフトする。すると、潜在失業率は低下すると考えるのである。これに対して、左の市場は、新古典派的な労働市場であり、一般的には、需給関係によって賃金水準が伸縮する市場である。

 ITは、いろいろな影響を与えると考えられるが、デジタルディバイドをもたらし、IT優位者が先の効率的賃金仮説的市場(右の市場)となり、そうでないものは新古典派的労働市場(左の市場)に入ると考えられる。しかし、ITの技術進歩は大変に早いので、すべての労働者を陳腐化させる力がある。ただ、情報技術の向上は、万人に情報および知識の普及とその獲得方法の容易さをもたらすので、これまでよりはよりキャッチアップすることが可能となると考えることもできる。逆にいえば、一部の人々の情報や知識の独占状況は速やかに、解消されるという力を持っているといえるのである。

 IT需要によって、新しい需要が創出されると考えられてきた。しかし、この数年に限っていえば、情報通信産業の労働者は、増加していないのが現実であった。この分野は、付加価値の大きさでもすべての産業の中でもっとも大きくなり、労働生産性も高い。とくに、全要素生産性(TFP)は、圧倒的に他の産業と比較して高い。それゆえ、今後は、この産業が、もっと発展をし、様々な職種や仕事を生み出す必要があろう。(注24

 しかし、ミスマッチによって、容易に、移転できない可能性もある。移転のためには、教育が欠かせず、これまで以上に高等教育がより重要な機能を果たすと考えられるのである。  また、海外でその需要をみたすとすれば、新しい労働力の獲得ともいえ、サイバーな 労働編成がより進むと考えられるのである。それゆえ、海外の人々がだれでもが参加できる、新たな組織編成原理が必要となると考えるのである。(注25

 と同時に、雇用者のうち、9割近くのシェアを占めるのは、非情報通信産業である。むしろ、この中で働く多数のホワイトカラー労働者(広義のIT労働者)の情報リテラシーをより高め、情報処理コストを削減するとともに、新しい付加価値をそれぞれの産業・企業で生み出すことが必要である。そのためには、すでにみてきたように、旧来型の組織編成を改め、情報通信システムの力をもっとも発揮できるように、再設計する必要があろう。


おわりに

 さきにみたように、ITを活用した組織は、ネットワーク型ないしはラーニング・オーガニゼーションの方向にあるとみられる。しかし、これを実現するためには、次の5つのディシプリン(discipline)の修得が必要であると考えられる。

 まず、もっとも重要なディシプリンは、「パーソナルマスタリー」である。これは、自己の視野を明瞭にし、高いレベルへ自己を深めてゆくことである。パーソナルマスタリーを確立するということは、自らの人生においてもっとも重要なミッションを認識し、弛まぬ努力を重ねるということである。とくに、IT関連の技術は急速に革新が進むので、高い自己研鑽の力が要求されると考えられる。と同時に、ITは、自己研鑽を促進するツールでもあるのである。ただ、これを怠るものは、淘汰され、さきにみた完全競争的な労働市場の中に投げ込まれることとなる。

 第二は、「共有ビジョンの構築」である。経営者のビジョンを他の組織成員に押し付けるのではなく、全員の共有ビジョンとしなければならない。経営者が個々人との継続的な対話によって、その組織の理想像ともいえるビジョンを普及させることが必要となる。とくに、業績主義や成果主義を企業が採用するのなら、労働者の意識や労働態度がバラバラとなり、かえって組織全体のパフォーマンスは低下するかもしれないからである。それをつなぎ止める手法がまさにこれであろう。

 第三に、「チーム学習」である。これは、チームのメンバーが望んでいる成果を生み出すために、協力してチームの能力を高めようと努力することである。チームの能力は個々人の能力を超えかつ個人の能力をより高めるという考えから、チーム学習によって共有ビジョンを実現しようとするのである。とくに、個人にとってもメリットが発生するようなチーム学習が望まれている。すなわち、個を大切にしながら、チームのよさをも発揮させる組織運営が重要となりつつある。ここにITの本来持つ真骨頂が発揮されるであろう。

 第四は、「メンタルモデルの克服」である。メンタルモデルとは、人の心に深く潜在し、一定の状況には一定の反応を呼び起こさせる心的イメージや認知概念のことである。それゆえ、このメンタルモデルは暗黙的な心のフレームであるから、様々な行動に少なからず影響を及ぼすのである。経営者にしても、情報労働者にしても、これまでとは異なる経営環境への対応のためには、これまでとは異なるメンタルモデルをいかに作り上げられるかということが喫緊の課題となっているのである。ITにも、いわば「ITメンタルモデル」があり、それを速やかに克服することが重要であろう。これは情報リテラシーのいわば前提となるものである。これが克服できなければ、いかにITを導入しようとも、旧来の固定観念どおりの組織編成を維持してしまうこととなるからである。

 第四に、「システム思考」である。事象それぞれが相互に作用し合っているため、部分ではなく全体を考慮しなければならない。これまでは、マクロ的な成長トレンドの中であったので、不合理があったとしても、それなりに成長を遂げることができた。しかし、今後は、限られた資源をいかに有効に使いこなせるかが問われるようになるので、全体と個の関係をもう一度真剣に検討する必要があろう。そのとき、ITが広く経済社会の中でシステム化する中で、それを取り込んだ、いわば「ITシステム思考」が求められているといえよう。

 80年代、組織力で米国企業に脅威を与えていた日本企業であったが、バブル経営崩壊後の強引なリストラクチャリングによって、その本来もっていた強みを急速に失いつつあるともいえる。しかも、さきもみたように、いわゆるe-ビジネスへの最適な組織編成も形成の途上である。そこでいま一度組織のもつ原理性を十分に理解するとともに、個人と組織全体との活発なコミュニケーションを促進して、組織全体のパフォーマンスを一層高める時期にきている。

 したがって、日本企業はITを活用したラーニング・オーガニゼーションの形成に大いに取り組むべきであろう。そして、ラーニング・オーガニゼーションは、情報労働者のパーソナルマスタリーをより求めると共に、インターネットをはじめとするITは、彼らの能力も高める力を付与することとなる。そして企業は、内部からの情報財の調達よりは、しだいに、外部からの調達が可能となりつつある。これは、組織規模の縮小傾向を強めるとともに、新しい内部組織の編成を促そう。なぜなら、内部にいる情報労働者へのインセンティブのうち、より情報・知識の獲得が重要項目となれば、それを組織全体で与えていくことが組織維持・発展には欠かせないものとなるからである。しかも、企業としても、そうすることが優れた情報財の生産を情報労働者から引き出すこととなるからである。



注1 東証株価指数からすると、三分の一程度であるが、新しい市場もでき、多数の新規上場企業も出現しているので、日本の総株価総額は増加しているかもしれない。どちらにしても、これまで日本を支えてきた主に大企業の過半の業績が不振であることは間違いがない。

注2 ただ、失業率でみると、欧州の半分程度である。しかし、日本の場合、女子の就業率が低いので、それが失業率を押し下げていると言う効果があったかもしれない。今後は、女子就業率も増加することが当然に予想されるので、尚一層の雇用の創出が課題であろう。

注3 公共投資の限界生産力が低下したと言うことかもしれない。経済学の基本に立ち返れば、同じ種類の生産要素の投入は、収穫逓減の法則により、生産性を低下させることとなろう。たとえば、同じ道路でも、極めて交通量の多い道路の建設と、まったく利用されない道路ではその建設後の効果も大幅に変わってこよう。

注4 ニューエコノミーという言葉は、もともとジャーナリズムで使われていたものなので、決まった定義は無いといえよう。OECDは、”A New Economy?”(OECD, 2000)の中で、Few studies clearly define the term “new economy” and it seems to mean different things to different people. The three characteristics of the economy appear to be the following .という。そして、その三つの性格とは、第一は、経済成長の高さをいい、第二は、ビジネスサイクルへの影響をいい、最後が、経済成長の原理の違いをいうと捉えている。筆者はもっと細かい分類を試みている。「情報資本主義の理論的考察―ニューエコノミーの批判的分析」『総合政策論叢』(島根県立大学、2001)参照。

注5 平成7年あたりから、対民間設備投資比率は、12%台前半で安定している。対GDP比率では、2%台である。これは、前者で平成4年あたりからすると2倍程度であるので増加していることは確かであるが、米国と比較すると大きく引けを取っている状況である。

注6 ただ、米国では、PCの売れ行きが前年を下回るまでになっており、米国ですら情報化投資の中でPCの購入が大半を占めていたことが明らかとなっている。これは、裏を返せば、過剰な情報機器への投資を意味しており、投資配分の不均衡が指摘できるかもしれない。

注7 米国では、高所得者層も増加しているとともに、低所得者層も増加している。すなわち、中間層が二つに解体されている状況である。しかし、この10年間の経済状況の良好さがそれぞれのクラスの絶対的な経済的豊かさの上昇をもたらしたことも事実であろう。

注8 総務省(旧郵政省)の情報通信産業の定義は、@郵便、A電気通信、B放送、C情報ソフト、D情報関連サービス、E情報通信機器製造、F情報通信機器賃貸、G電気通信施設建設、H研究の9部門としている。本文では狭義のものである。

注9 情報部門でも、単純なデータエントリーや非熟練プログラマーは、低賃金化しつつあるといわれる。ないしは、非社員化がすすんでいると考えられる。その一方で、情報コンサルタントや情報戦略システムのマネジャーは引く手あまたであるといわれている。

注10 この大潮流は、政府の見解を採用している。経済審議会部会報告『経済社会のあるべき姿と経済新生の政策方針』、経済企画庁編、平成11年、参照。

注11 まず、消費物価が2001年度には、デフレになったといわれている。これは消費需要が高まらないことが原因の一つと考えられる。これは、現金給与総額伸び率が1998年、99年とマイナスとなったことが大きな原因である。その一方、家計貯蓄率は、いわゆるバブル期末期には、10%強であったものが、現在は、13%後半まで回復していることが証明している。

注12 情報社会は、情報資本の賦存量の増大によって変容していくのであるが、その進展とその他のいわば社会資本とがうまく整合性がとれてなければならないと考えられる。
たとえば、The Economist Intelligence Unit(EIU)等の調査によると、日本はハイテク経済が進展しているにもかかわらず、eビジネス度では、18位にとどまっているという。(60ヶ国中)ちなみに、米国が、最高位であると言う。

注13 ネットの経済性を発揮するためには、まずは個が自律している必要がある。そしてそれはユニークであり専門的でなければならない。それを前提として、個が状況に合わせて強弱の連結を実現することにより、価値が発生すると考えられる。

注14 企業は環境適応業であるので、その環境がIT化すれば自らもIT化せざるを得ない。それゆえ、一度、社会や産業界がIT化し始めれば、あっという間にIT化は進むとみられる。ただ、ハードウエアのIT化は容易であろうが、情報リテラシーを含めたソフトウエアのIT化は簡単には獲得できないと考えられる。

注15 インターネットバブルが弾けて、ハイテク銘柄の多いナスダックの平均株価が半分以下になっている。それは、実態としてインターネット関連の企業の大半が赤字であると言うことが背景にある。それゆえ、IT化の進展と、それを推し進める企業の利潤とは必ずしも連動しないことが明らかと成りつつある。

注16 情報通信産業は比較的個人の成果が測定・評価しやすいのに、なぜ、職能的な賃金決定方式を採用する企業もあるのであろうか。その理由として、まず、評価基準の未確定があろう。それと他産業からの転入が多い産業なので、それらの企業方式をとっているとも考えられる。

注17 ITによって情報コストを削減しておきながら、他方、情報仲介者としての中間管理職をそのままの形で維持することは、複雑なコミュニケーションを生み出すだけで、かえって費用は増加することは十分に考えられる。

注18 組織は、情報処理コストを低減させるために作られたとする考え方からすると、組織規模は内部処理コストと外部からの調達コストとの比較より決定されると考えられる。拙編著『経済社会の基礎理論T』(学術図書出版、1999)参照。

注19 ITは、情報の入出力を手段として、情報や知識創造が目的であると考えられる。それゆえ、学習をより促進する方向でITが利用されるべきであろう。このことが、ITの導入とITの効果の未発生とのミスマッチを生んでいる原因の一つと言えよう。

注20 C.Azariadis, ”Implicit Contracts and Underemployment Equilibria”, Journal of Political Economy(October 1975)

注21 Jeremy I. Bulow and Lawrence H. Summers, ”A Theory of Dual Labor Market with Application to Industrial Policy, Discrimination, and Keynesian Unemployment”, Journal of Labor Economics(July 1986)

注22 すなわち、実質賃金の上昇が努力水準の向上をもたらすと考えられる。物理的力は限界があるが、精神活動はその努力の仕方によって大きな較差が生じると考えられるからである。しかも、精神活動は目に見えないので、そのプロセスを管理することはきわめて困難であるといえる。

注23 ただ、サービス産業の成長のためには、低賃金の労働者が多数必要といわれている。しかし、この存在は、結局は所得格差をもたらすので、大きなジレンマが存在していると考えられる。

注24 ITのもつ合理化・効率化機能が、ITの新規産業、新規職種創出機能より上回っていると考えられる。 ITは、やはりハードウエアの投資と言う面ではなく、ビジネスモデルの変更や創造がいかに重要であるかと言うことを裏書していると考えられる。

注25 もっとも公平な評価基準は、やはり成果にもとづくものであろう。しかし、この成果をどう見積もり、評価するかということは簡単ではない。 そのとき、「責任の大きさ」、「責任の範囲」、「仕事の複雑さ」などを要件といれるとよいという考えもある。またこれは、SOHO(small office home office)の海外拡張版とも考えられ、どこまでが一国の労働力であるのかという難しい問題を惹起せしめる。

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